オリンピック組織委員会の森会長の発言で
東京オリンピック組織委員会の女性理事数を増やすことについての森会長の発言が女性蔑視と報じられ、国内だけでなく、海外も巻き込んで、騒々しい事態になっています。
この問題を「ジェンダー」で考えてみます。
《フロイトの説を究極に意訳》
フロイトは、人の成長の過程での親と精神的葛藤をエディプスコンプレックスと名付け、ジェンダーの成り立ちを分析しました。「男性は、良心、倫理や理想いう社会的価値観に目を向け葛藤から逃れことを決意し、女性は子どもという愛情の対象を得ることで、自らエディプスコンプレックスの主人公になる道を選らんだ。」と。
フロイトの分析は、「男は外向きの仕事をし、女は家を守る。」ライオンの雄と雌の関係と同じような気がして、納得感があるのは事実です。人間も動物の一種なのだから…。
しかし、ジェンダーについて、性差男女差別の根源であるかのような議論がされることを(今回も含め)しばしば目にします。しかし、ライオンもそうであるように、私たち人間はもっと、仲間や組織といった関係性に依存して生きながらえてきました。男女差を活かした役割分担がは種の存続に必要だったからその関係性に組み込まれ、ジェンダーと呼ばれるようになったと考えられます。
《ジェンダーだけでなく多様性の獲得は重要》
ライオンの世界も人間でもジェンダーは、必然的な仕組みです。ジェンダーに限らず、他者の存在を認めることは、崇高な理念などではなく、種の維持には必須の条件なのです。
人間はライオンと違って、本能だけでは種が生き残れないほど進化してしまいました。
その上に、ジェンダーの概念も、男女だけでなくなっています。ジェンダーだけでなく、社会をつくる多様な人々の重要性も広く社会に認知されるようになってきました。他者を受け入れることには、軋轢や争いが起こることがしばしばです。多様性の獲得は、進化の最大要件ですが、喧嘩したあと仲直りするように、私たち人間は今の社会の仕組みを少しずつ作り上げてきたのです。
《批判も反省も…》
今回の問題も鎮まる気配をみせませんが、勢いに任せた批判や、形だけの反省だけでは、問題の解決には至らないのではないかと感じられてなりません。
地球環境だけではなく、トランスジェンダーも含めジェンダーの多様性なくするのではなく、深めていかなければ、進化の波に乗り遅れてしまうのではないかと心配になります。
最近読み始めた本(「ティール組織」F.ラルー)に、ドラッカーのこんな言葉がありました。「混沌とした時代に最も危険なのは、混沌そのものではなく昨日と同じ論理で行動することだ。」
そして、経営学の先生のこんな言葉も聞いたことがあります。「私たち女性の学者は『これってかわいい』が商品の評価として成り立つけれど、男性の場合はそうはいかない、なぜ売れるかを論理的に示さなければならない(ので大変だと思う)。」
進歩への意思と時代をかぎ分ける感性のありか示すこの二つの言葉には、強い説得力があります。